説明
庚申信仰は「道教」の教えから起こったもので、奈良時代に中国から日本に伝わり、平安時代には貴族の間に庚申の日徹夜して長生きを願い、詩歌、管弦の宴を催したり、語り明かす「守庚申」が定着し、室町時代には民間にも「庚申講」が出来、勤行して庚申様に祈り、徹夜で語り明かす風習「庚申待」が行われはじめ、中信平でも、村の成立と併行して江戸時代以降一層広まり、講単位で供養塔を庚申の年に建てるようになった。
「庚申待」は何を拝むかという崇拝の対象がはっきりしてきた。庚申の申と猿を関連させ、猿を神の使とする山王権現の進行と結びつき、一方で青面金剛の信仰とも結びつき、江戸時代に入るとこれを庚申様の本尊として造像したり、方々の寺や庚申堂で頒布する画像を祀るようになる。そして青面金剛像と猿の信仰が同座した石像、画像も広まった。浅間温泉の庚申堂の画像は松本市梓川上の「真光寺」から頒布したものである。